赤が好きだった。

元気が出る色だって笑ってた。


赤。





「待って!待ってってば!どこに行くのっ!」
必死で手を伸ばす。
追い掛けても追い掛けても捕まらない。
一体どこに向かっているの?
このままいなくなってしまいそうで、怖い。怖い。怖い…
行かないでっ!


目を開けると、司の顔があった。真顔で俺を覗き込んでいる。
「大丈夫か?うなされてたぞ?」
「…あれ、俺どうして…?」
体を起こすとベッドの上に寝かされていた。どうやら保健室のようだ。
…また、嫌な夢を見た。
「体育の授業で倒れたんだよ、おまえ。覚えてないの?」
「…えっとー……あんまり…」
苦笑いを浮かべながら答えるが、正確には全く覚えていなかった。
倒れた…?
ここ最近、寝不足だったせいだろうか…。
そんな俺を見て、司は呆れたような顔をして小さく溜め息をついた。
その顔を、姿をまじまじと見つめてしまう。
大丈夫、ちゃんといる。どこにも行っていない。
ぎゅっと司の手を握る。ほっとした。
「…どうした?」
司の目に心配の色がにじむのがわかった。
「司が…いなくなった夢を見た…。追い掛けても捕まらなくて…」
「またか…。大丈夫だって、俺はいなくなったりしない」
俺を真っ直ぐ見つめながら、手を強く握り返してくる。
暖かい。伝わってくる確かな温もりに思わず表情が緩んだ。
「もう忘れろ。いいな?」
なだめるような優しい声。
「うん…」
こくりと頷く。
わかっている。忘れなければ駄目だ。いつまでも引きずっていては駄目だ、と。
ほらよ、と司が制服を差し出してきた。
「さっさと着替えな。帰るぞ」
見ると、時計はすでに4時を回っていた。


保健室を出ると、廊下にはまだ数多くの生徒がいた。掃除をしている者、帰ろうと昇降口に向かっている者、これから部活なのかジャージ姿でかけていく者。
靴を履き替え外に出る。
雨が降っていた。灰色の空から降る、しとしととどこか悲しげな雨。
こんな雨の日は憂鬱で仕方がない。
「純、傘は?」
「あ。持ってない…。今朝コンビニに寄って、忘れたんだった」
すっかり忘れていた。傘を忘れたことさえ忘れていたなんて、相当間抜けだな。
「はあ?アホ。おまえ、ぼーっとしすぎだぞ」
うっ…。
図星なので言い返せない。
司はパッと傘を開くと、
「入れよ」
と俺の腕をとって引き寄せた。
「…あ。ありがと」
口は悪いけど優しい司。
その優しさが嬉しくて、俺の心はかき乱される。


十字路に差し掛かった。
司の家は真っ直ぐ行った先。しかし、俺の家へは右に曲がらなければならない。
わかれ道。
十字路の手前で立ち止まると、
「傘貸してやるよ」
司が傘を押し付けてきた。
「え、大丈夫だって。いいよっ」
「よくない。おまえ体弱いんだから、すぐ風邪引くだろ。俺んちもうすぐそこだし」
まただ…。なんでそんなに優しいんだろう。
司の家、そんなに近くないことくらい知ってるよ。
「でも…」
「いいからっ」
俺の手に強引に傘を握らせると、司は満足そうに微笑んだ。
「じゃあな」

  『じゃあね』

別れの言葉。あの日と同じ。
俺の嫌いな言葉。永遠の別れみたいで…。もう二度と会えないみたいで…
きっと俺は困った顔をしていたんだと思う。
司は
「また明日な」
苦笑いを浮かべながら、そう言い直した。
「…うん、また明日」
司はくるりと背を向けると、雨に打たれながら小走りに駆けていく。
赤いラインの入った鞄が揺れた。






『俺、司が好きなんだ。でも、司が好きなのは俺じゃない』

『純が好きなんだよ』

夕焼けに染まる校舎。
オレンジ色に染まる司の顔。

『じゃあね。俺、先に帰るよ』

そう言って背を向けた司。
もうひとりの俺。

それが…最後の別れになるなんて…





「……」
気付いたら涙が頬を伝っていた。
傘が手から滑り落ちて、コトリと音を立てる。
涙で霞んだ視界から司の背中が消えた。
「司…大森司は、石井司が好きだったんだよ…」

大森司。
俺──大森純の双子の兄。
半年前、事故で亡くなった兄。
なんでも出来て、頼りになって、かっこいい兄。
誰よりも大好きだった。

でも、兄は違った。
兄の一番は俺じゃなくて、石井司だった。
同じ顔で一番近い存在の俺じゃなくて、同じ名前の司を選んだ。

『司が好きな色だから、俺も赤が好きなんだ。』

そう言って笑っていた兄は、もういない。


司はきっと兄の気持ちなんて知らないだろう。
兄は何も言わなかったから。何も言えずにいなくなってしまったから。
俺は悔しかった。なんで俺じゃないんだろう…。俺は一番好きなのに、って。





『純。俺、おまえが好きだ』

よく覚えている。
あの夕焼けの日、大森司が立っていたところに石井司が立っていた。
どうして。
どうして、こんなにもすれ違っているの?

『俺は嫌いだよ』

確かにそう言った。





…だけど。それでも司はすごく優くて…。
涙は後から後から出てきて止まらない。
なんで泣いているのかもわからない。

「…好きだよ、司。…一番…好き…」
悲しげな雨が俺の身体を濡らす。
「司は…いなくならないでね…」
さよならを言って去っていかないでね。

大好きだった兄のように。もう一人の司のように。



雨が降っていた。灰色の空から降る、しとしととどこか悲しげな雨。





2004,10,02




なんかイマイチようわからんかった人のためのわかりずらい補足。
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